大事なのは『終身』よりも『恒久平和』だろう

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今日の歩数・・・2899
今朝の血圧・・・130―82
今夜の血圧・・・134―80
今日は被爆から73年の『原爆の日』でした
平和記念公園の『原爆慰霊祭』に初めて行ったのは、もう43年も前の事でした
43年前の春に大学を卒業し、念願の放送局に就職したものの『研修』という形でキー局のNETテレビ(後のテレビ朝日)のアナウンス室に預けられ、地獄の特訓の毎日を過して、やっと広島の放送局に行ったのは6月も半ばを過ぎていました
その年の広島東洋カープは、例年と違って5月の鯉幟の季節を過ぎても快進撃は止まらず、初優勝に向けて広島の街が来る日も来る日も赤ヘル旋風で渦巻いていました
しかも、昭和50年8月6日は『被爆30年』の節目の年で、何時にも増してセレモニーも多く注目を浴びていました
社会人1年生の僕は、早朝から深夜まで、デイリーのニュース取材に加え、被爆30年の特番取材に広島カープの快進撃取材が重なった上に、夏の高校野球は1回戦から完全中継があり、とにかく訳も解らないまま必死で毎日を過ごしていました
早朝から交通事故や火事の取材をしてポラロイドの現場写真をタクシーで社に送り、県警記者クラブに戻って一課や交通課で取材した内容を原稿に纏めて電話送稿(まだFAXも無い時代)をして、報道車を自分で運転して社に戻り、ニュースデスクの手でリライトされた自分が書いて電話送稿した原稿を手にお昼の生放送のニュースを読み、息つく暇も無いまま広島市民球場で行われている高校野球の県予選のリポーターをして、試合が終われば『カープ特番』『被爆30年特番』の取材をする~という毎日でした
残業は月120時間を越えていましたが、70時間で足切り~しかも実際には残業代の殆んどが支払われ無いという、今で言うブラック企業でした(当時はですよ。今は健全な良い会社になっています~たぶん)
社会人とは、放送局とは、何と忙しく厳しいのだろうと思ったのですが、後でよくよく考えれば『あの年が特別』な年だったのと、『あの会社が特別』な会社だっただけなのです
広島在住の2年間で得たモノは、高校大学時代の体重より5キロ痩せたのと、軽い胃潰瘍と『この劣悪な職場環境で2年間辛抱したのだから、どんな所でもやって行ける』という変な自信だけでした
そして何よりも貴重な経験は、人類が初めて経験した原爆の悲惨さや戦争の愚かさと悲劇を身近に感じた事でした
同僚のほとんどが広島県人でしたが、皆さんが何らかの形で原爆の被害を被っていたのです
親兄弟や親戚が原爆の犠牲になった方も居れば、被爆二世だという方も居ました
保険のオバチャンが『あの日、私は産業奨励舘(今の原爆ドーム)におったんよぉ~』と普通に言うのです
1年はお正月を中心に動いている様な気がするのですが、広島の1年は『8・6』を中心に動いているのです
関西に住んでいて『8月6日は原爆が投下された日』と、知識としては知っていましたが、広島での2年間は原爆に対する強烈な印象を残してくれた2年間でした
その『8・6』が今年もやって来ましたが、テレビの『原爆慰霊祭』の中継はNHKのみで、民放は食傷気味のアマチュアボクシング協会終身会長の話題ばかりです
人類が忘れてはならない悲劇、原爆の惨状を後世に伝えて行く為に『8・6』の日ぐらいは、マスコミはもっとシッカリ伝え続けなければならないと思うのですがねぇ

写真は、原爆慰霊祭を伝える夕刊

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