53年前の父親の選択が、僕の人生を決めた

画像

今日の歩数……4399歩
今朝の血圧……147―86
今夜の血圧……135―75
久し振りに、兄弟3人が揃いました
兄とは14歳、姉とは5歳の年齢差があります
これだけ年齢差が有ると、僕の知らない『我が家の歴史』を、兄や姉は良く知っていたりします
僕が小学校5年生の時に、父親は55歳の定年を迎えました
兄は既に社会人、姉は高校生でした
父親は、これから末っ子の僕を中学~高校~大学へ行かせる為に、経済的には定年で仕事を辞めて楽隠居をする訳には行かなかったのです
傍系会社に再雇用を希望し、僕が高校を卒業するまでの7年間、つまり62歳まで働いてくれたのです
さて、その再雇用先ですが、我が家の歴史を良く知る兄と姉の話によると、父親は5つの選択肢の中から自由に選べたのだそうです
その選択肢は、北海道の上磯(函館の近く)~新潟県明星(糸魚川の近く)~兵庫県香住~徳島県阿南市~熊本県八代だったそうです
それまでの勤務地は、和歌山県と兵庫県淡路島でした
富山産まれの父親は、雪国の冬の厳しさを知っているだけに、北海道や新潟、日本海側の香住は避けたらしいのです
残る選択肢は、熊本県か徳島県だったのですが、流石に九州の熊本は遠いと思い、それまで暮らした和歌山や淡路島からも近い徳島県を選んだらしいのです
しかし、いま思えば新潟の明星は、父親の生まれ故郷の富山県朝日町にも近かったのに、雪国とは言え何故選ばなかったのか不思議なくらいです
父親の選択が、もし徳島で無かったなら僕の人生も大きく変わっていた筈です
小学校6年生から高校を卒業するまでの7年間に知り合った徳島の友人達とは、逢う事は無かったでしょうし、大学も何処へ行ったか判りません
初恋の相手は、雪国の女性か火の国の女性だった筈です
もちろん、放送局のアナウンサーになる切っ掛けも無く、全く別の職業を選んでいたかも分かりません
果たして父親の選択は、僕のそれからの人生にとって良かったのか悪かったのか
人生に『もし』『たら』は存在しません
現在の小さな幸せに繋がる53年前の父親の選択は、やはり正解だったと感謝するしか有りません
朝のウチに、兄弟揃って墓参りに行って来ました
暑くなる前に~と8時過ぎに行ったのに、もう既に暑かったです
取りあえず、53年前の父親の選択に『ありがとう』と言って来ました
次に3兄弟が集まるのは、何時の事になるでしょうか

写真は、墓参りの墓地霊苑から望む大阪平野

画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント