あれから10年かぁ~子供は父の影を追う・・これは運命だぁ!!!

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今日の歩数………11018歩
今朝の血圧、132-81
今夜の血圧、155-88
桂吉朝……昭和29年11月18日生まれ
昭和49年、桂米朝師匠に11番目の弟子として入門
米朝落語の継承者として高い評価を受けるも、平成17年11月8日胃癌のため逝去、享年50歳
あれから、もう10年です
永年、米朝事務所の落語家さんの高座姿を撮影している宮崎金次郎さんと弟子の上田康介さんの合同写真展『吉朝庵写真展』が開かれています
小さな会場の扉を開けると、笑福亭銀瓶さんと某大手新聞社の文化部の記者だったAさんが先客としていました
Aさんとは20年ほど前に、笑福亭學光さんの中国の寒村に文房具を届けるボランティアで、中国旅行をご一緒した仲です
展示された懐かしい吉朝さんの高座姿を見ていると落語作家の、くまざわあかねチャンが現れました
くまざわさんから、会場の係の人だとばかり思っていた男性を紹介されました
その男性こそ、宮崎さんとの合同写真展の上田康介さん……つまり、吉朝さんの一人息子さんだったのです
吉朝さんが亡くなった時は22歳で、まだ写真を始めていなかったそうです
でも、結局はお父さんの写真を撮っていた宮崎さんの下に弟子入りするのですから、お父さんが引き合わせた様なものです
子供の頃は、よく楽屋に連れていかれ笛の練習や太鼓の叩き方を教えられたそうですから、吉朝さんとしては落語家になって欲しかったのかも判りません
演者ではなく演者を被写体とするカメラマンになった御子息を、『落語と縁は繋がっている』と、あの四角い顔で満足そうに笑っている姿が想像出来ます
最も桂米朝に近い落語家~と自他共に認める本格派で、上方落語界を牽引して行く第一人者として期待されていました
いづれは、大名跡である米団治襲名が内定していたとも言われています
10年前の『桂吉朝を送る会』で、満中陰志として戴いた、最後の舞台を収めたCDが手元に在ります
国立文楽劇場で行われた『米朝・吉朝の会』での『弱法師』が収録されています
楽屋で酸素吸入をしながら臨んだ最後の落語を、10年経っても未だに聴けずにいます
その文楽劇場の舞台から、わずか12日後に亡くなったのでした
懐かしい高座の写真や、劇団リリパットアーミーでの写真に加え、貴重なプライベート写真を前に、御子息やくまざわさんと想い出話に耽っていると、年齢が近かった事も有り吉朝さんと番組をご一緒した頃を思い出し、涙腺が緩くなって来たので早々に会場を後にしました
写真展は、17日まで心斎橋駅から徒歩5分の『壺燈舎』で行われています
壺燈舎……06-6121-6202

写真は、写真展の案内葉書と最後の舞台のCD

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